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while dukkha :
    if 支配されている(気付いていない):
        MATRIXの中にいるのと同じ
    elif 気付く苦しみを選択する:
        if 気付いていたとしても怒りなどの煩悩を生成:
            MATRIXの中にいるのと同じ
        elif 忍耐(khantii)し、心に平和を保つ:
            break

ただし、より外に別の(またはより大きな) Dukkha ループが続く。

瞬間、瞬間、目の前の dukkha に対応し、乗り越える。

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2018-08-07 朝の瞑想時

起き抜けに坐り、 1から10、10から2、2から9... と最後5のループになるまで息を数え、 集中した状態ができたところで慈悲の瞑想をした。

最初に自分に向けて慈悲の瞑想をしているとき、 雑念が何ひとつない「空間」に 慈悲の瞑想(言葉)だけが発音(頭の中だけど)されている状態を経験した。

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皮膚感覚の外側からやってくる情報を「これは自分(自己、自我)ではない」と確認し、 段々、自分の「個」として認識している物質や感覚についても「これは自分のものではない」という感じで無我を確認していくことができる。

同時に、自分の「個」として認識できる「内側」の物質や感覚から無我の観察を出発して、 六根に触れる現象それぞれに「それらにも本性(自己、自我)はない」と観察することができる。

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2018-07-27 午後の瞑想後

任意の瞬間にて、六根で感受した感覚以外が「ある」のか「ない」のかは << 分からない >>。

人間である限り、六根で認識したものが世界である。

心はシングルスレッドなので

見るもの 聞くもの 臭うもの 味わうもの 感じるもの 考えるもの 全て、 その瞬間で初めて出会った現象であり、 再現することも持続することも、 ましてや、永続不変であることなどありえない(無常である)。

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自分を変える気づきの瞑想法【第3版】: ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想 アルボムッレ・スマナサーラ

"真理に照らしてものごとをとらえると、悩むことが成り立たなくなる。"

"外から入る情報にあっという間に左右され、自己管理することができません。このようなことをまとめて「心が弱い」といいます。"

苦しみの原因は渇愛(渇いている状態、現在の状態を不足と思い、不満を感じ、まだまだ欲しいと思う状態)。

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この食べ物はいい、これは駄目… と選別しているのは、最初から食べ物に怒っているようなもの。

"罪を犯さなかった人間は存在しません。ですから、後悔を良いことだと認めると、すべての人間がダメになってしまいます。"

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苦痛は観察することで成り立たなくなる … 本当にそうか?

苦痛があっても、うれしいことがあっても、平和な心を保つことが「忍耐」(Khantii)。

瞑想中に嫌なことがあったとき「全然集中できない。イヤだ」と心を乱すのは簡単だが、そこで忍耐を働かせ、落ち着きを保つのが大事 … とは分かるが、「そこで忍耐を働かせ、落ち着きを保つ」ことが、んー、結構難しい。できるときもあるし、できないときもある。

あ、そうか。何があっても冷静でいるように努力することが修行だった。(自己解決)

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生命には単なる物質と違って感覚がある。

感覚があるために、壊れたら修復する作用が働く。

それと同時に「個」という認識も自動的に備わる(成り立つ)ことになる。

この「個」という認識と「自我」の錯覚を混同してて、しばらく悩んでいた。

「自我」の錯覚は常日頃から捨てるように努力すべきだが、「個」の認識はすごーく上のほうの禅定に逹っさないとなくならないと思う(予想)。

参考: 「無我の見方」スマナサーラ長老

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2018-07-25

瞬間瞬間死んでいる。

死んで死んで死んで死んで死んで…

死ぬから生まれる

生まれるから劣化(老化)する

老化するとき変化/故障/エラー(病)を伴う

老化もしくは病気が手に負えなくなると死ぬ

執着がある限りまた生まれる

スケールを変えて見ると、生まれることは新しい別のものに変化することのようにも見える

そこら中で死んでいる

そこら中で生まれている

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2018-07-24 ブッダの集中力 スマナサーラ長老

能率を気にすると集中力は低下する。

集中力自体が楽しいもの。 楽しみをハイライトする。 楽しみ、とは、不貪、不瞋、不痴からくる楽しみのこと。

(メモ) 誰かに教えるならどうするか考えながら読む。そして、能率は気にしない。

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「楽しみ」を越えて「冷静」へ至り解脱する

無関心、無知からくる冷静さに注意 → 痴です。

サマタ瞑想

心に(貪瞋痴と関係ない)単純な仕事をしてもらって落ち着かせる

好きでも嫌いでもない、感情が働かないことに意識を集中させる

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準備

* 何かに依存して得られる感情的な楽しみをひとまず横へどけておく

* 「やりたい」「やりたくない」ではなく、「必要か」「不必要か」を基準にする

* 理性的な関心を育てて、感情や不必要なことに対する関心を捨てる(ここは良い意味で無関心になる)

* 理性を育てる。理性で観る

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瞑想メモ

疑問:

苦の大小の差を行ったり来たりしているだけだと分かると、気が楽になるどころか、余計に辛くなる。

しばらくそのような状態を観察して「あ、もしかしたらこんな感じで流せばいいのかな?」というモードになると 身体的な苦痛は多少柔らぐが、根本的に解決できていない気がする(その場しのぎとしか思えない)。

やっぱり苦しい。

この苦しみを取り除くにはどうすればよいか…。

頭での回答(現時点):

執着を捨てれば良い!(Upadhinidaanaa pabhavanti dukkhaa. 執着が苦の原因である)

(メモ) 感覚が感じるだけである。自我が感じてるのではないし、そもそも自我は幻想だし、自我は成り立たない概念である。

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怒らないこと2 スマナサーラ長老

苦と苦の間を行き来しているだけなので、本当の幸福(安穏)は(誰も)知らない。

死にたくない、という恐怖にただただ追い立てられて、結果、死ぬ(崖から落ちる喩え)。

この喩えを反芻していて思い付いた。苦に執着して生きることは、当選確率0%の宝くじを(分かっていながら)買い続けることに似ている。 正しい判断は単に宝くじを買う行為を止めることである。

怒りの種類を認識し、その発生から生滅までを意識して観察すること。 怒りを抑止しようとしても燃料を与えるだけ = 負ける。

日常生活で怒りに遭遇したら、とにかくその場で全部止めてみる。(対処法)

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自我(自分という主体)は、認識の過程において「遅れてやってきて、且つ、割り込んでくる」。

「私が見る」前、つまり感受した瞬間は「目(眼)が見る(眼識)」のであり、そこに「私」が割り込むことによって「私が見る」という顛動(パパンチャ)を合成する。

もし「私」が不変ならば、任意の刺激に対して対応する反応は(関数のように)一定であるはずだが、現実を(今の瞬間でも)ちょっと見てみればそうではないことは明白である。

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"みんな完全無欠のエゴイストなのに、案外いろいろと自分のことを気にかけて優しくしてくれるなぁ、と思うと感謝の気持が湧いてくる" という発想は目から鱗。

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Upadinidaanaa pabhavantii dukkhaa.

Representing Pali diacritics using the Velthuis method

Some books and articles on Access to Insight contain substantial amounts of Pali text. Many of them use the Velthuis method[5] to represent romanized Pali's accented characters (diacritics) that are not part of the standard roman and ASCII alphabets. In this scheme two basic rules are observed:

Long vowels (those usually typeset with a macron (bar) above them) are doubled: aa ii uu For consonants, the diacritic mark precedes the letter it affects. Thus, the retroflex (cerebral) consonants (usually typeset with a dot underneath) are: .t .th .d .dh .n .l. The pure nasal (niggahiita) m, also typeset with a dot underneath, is .m. The guttural nasal (n with a dot above) is represented as "n . The palatal nasal (n with a tilde) is ~n.

For example: paa.naatipaataa verama.nii sikkhaa-pada.m samaadiyaami and itihida.m aayasmato ko.n.da~n~nassa a~n~na-ko.n.da~n~no'tveva naama.m ahosiiti.

引用元: https://www.accesstoinsight.org/abbrev.html#t-5

参考: パーリ語アルファベット表記をhtmlで表現する方法 http://hohi.sakura.ne.jp/pali/pali-web-code-2.html

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負けたくないという気持ちは常に自分自身に向けるべき。

結果として、やるべきことに集中し、精一杯やれる。

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2018-07-19 早朝。「怒らないこと」(スマナサーラ長老)

"何をされても怒らないと決めてしまえば…世の中に生きるということくらい、なんのこともない"

生命の悩み苦しみは"等価です。誰の悩みが特に重要ということはありません"。

自分の悩みや苦しみだけが特別だと思うのは傲慢であり、間違いであり、成り立たない。

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2018-07-18 午後の瞑想の後

瞬間の感覚の連続を「実体」だと誤認している、ということを観察できた。

怒ることは害である。

性欲に意味はない。持っていても無価値である。 付き合うだけ損である。

不必要な物欲にも意味はない。寧ろ重荷である。

観察から集中してきて、その集中力で慈悲喜捨の瞑想をし、集中して観察に戻った。

basicwerk.com

Author: 中村 心 Shin Nakamura, Email: sn(at)i.basicwerk.com


© Shin Nakamura 2018