職場にて、
 

  • 自分を信用しろ
  • 自分を信用するな

 
という矛盾した2つのフレーズが言われることがある。
 
例えば受け手が研修を終えたばかりで初めて業務に取り組もうとしている状況を考えてみよう。
周りからのプレッシャーや自信の無さから、なかなか成果を上げられないでいる。
こんな時に上司や先輩からかけられる言葉としては「自分を信用しろ」だと思う。
「自信を持て。お前なら大丈夫だ」と言っているのだ。
 
相対して、受け手が既にある程度の業務経験があり、日常のルーティンワークには少し飽き飽きしている中で単純なミスを連発してしまったとする。
この場合かける言葉としては「自分を信用するな」のほうが使われるようだ。
つまり「初心に帰れ。慎重に頼むよ」と言われているのである。
 
めまぐるしく状況が変化する職場では、同じ日にこの2つの言葉を同じ上司から聞かされるようなこともあり得る。
 
ここで考えるべきは、かけられた言葉の意味的な矛盾でないことは明らかだ。
上に挙げた例のように、かけられる言葉は受け手の状況によって相対的に変化するからだ(そしてその結果としてこのような矛盾が発生してしまうこともあるわけだ)。
 
考えるべきは「なぜ」上司はわざわざそのような言葉を自分に言ってきたのか、その理由である。
 
 
 

「自分を信用しろ」の理由

 
上司はあなたに投資をしている立場にある。
あなたに研修という名のコストをかけている。これは正しく先行投資である。
投資対象(あなた)が投資したコスト以上のリターン(成果)を上げてくれないと、上司が行った今回の投資は失敗したことにある。
上司には更にその上の上司がいることを忘れてはいけない。更に上の上司はあなたの上司に投資をしているのである。
 
余談だが、仮にあなたの上司が社長だとしても、それより上の上司がいないことにはならない。
社長にとっては株主や顧客など、本当の意味で彼に投資している人たちがいるのだから、状況はよりシビアだ。
 
上司からあなたへの投資が失敗だったと発覚するとどんなことが起こるだろうか?
答えは単純だ。あなたの上司の評価が下がるのだ。
 
 
もし「自分を信用しろ」というフレーズに限らず、「早く生産性を上げろ」という意味の言葉を頻繁に言われるようなら、それはその組織が短期的な高いリターンを望んでいる裏返しかもしれない。
簡単に言えばハイリスク・ハイリターン型の経営方針ということだ。
 
あなたが組織の体制と同じくハイリスク・ハイリターン型の働き方を好むなら、上司の言うことを真摯に受け止めて業務に励むべきだ。
逆にあなたが中長期的な戦略で地道な(つまり小さな)リターンを積み重ねていくタイプなら、この組織はいつまで経っても肌に合わないだろう。
余計なストレスを抱え込んで身体を壊す前に転職を考えたほうがいいかもしれない(投資の世界ではこれを損切りという)。
 
僕としてはこの上司にもひとこと言いたい。
もしあなたの属する組織がハイリスク・ハイリターン型でないなら、部下をむやみに急かすような言葉は禁物だ。
組織の為を思うなら、組織の体質に適したコーチングを心がけよう。
 
組織の中で発せられる言葉は行動に繋がりやすい。
行動は文化を作る。
言葉や行動は、組織の目指すビジョンを実現する力にもなるが、組織をあらぬ方向に捻じ曲げる力も同時に持ち合わせていることを忘れてはいけない。
 
 
 

「自分を信用するな」について

 
ミスがいくらでも許される組織は皆無だ。
このことは誰の目にも明らかだろう。
 
ただ、ミスがある程度許容される組織というのは確実にある。
例えばスタートアップしたばかりの無名な企業がその典型だ。
 
無名であるがためにミスを犯した際のリスクが少なくて済む上、汚名返上にかかるコストも小さい。
スタートアップでは、慎重になりすぎて型にはまったことを繰り返すより、少しぐらい失敗をしても経験を積み重ねながらイノベーションを突き進めることが急務となる。
型にはまらないこと、新しいことに挑戦することが、スタートアップの生命線と言えるからだ。
 
スタートアップのような環境で「自分を信用するな」というフレーズはあまり使われない。
大企業と同じくミスを戒める言葉として使うなら「自分を信用しすぎるな」が適切ではないだろうか?
つまり「顧客の声に耳を傾けろ」という意味だ。
スタートアップではルーティン的な作業につきまとう細かなミスはあまり問題ではない。
それよりも、独り善がりに推し進めた「顧客に必要とされない」方向付けが命取りとなる。
(小さい者にとって、相手から必要とされないということはそのまま死を意味する。マジで。)
 
 
「自分を信用するな」
この言葉がフィットするのは、大企業や老舗企業など、大きかったり年寄りだったりする組織だ。
いや、念の為に言っておくと、大きいこと、歴史があることがそのまま悪いことだとは思わない。
それらが原因の一部となっていわゆる「大企業病」に侵されてしまうことが悪なのだ。
(もちろん大企業が大企業病を発症していないに越したことはない。)
 
大企業病を患った組織内で発せられる「自分を信用するな」というフレーズは本当に最悪だ。
大企業病とは、端的に言えば何も信用できなくなることだ。
その不信感が組織の中で形として現れたのが「自分を信用するな」という言葉だと思う。
 
「自分を信用するな」とは前述のように「初心に帰れ。慎重に頼むよ」という意味だと僕は理解しているが、言い換えれば(ミスを戒めつつも)これから起こるミスを事前に予防するための言葉だと思う。
ここでもなぜ?と考えてみよう。
なぜこんな「脅し」とも取れる言葉が平然と発せられるのだろうか?
 
これはあくまでも推測だが、詰まるところ「何も変えたくない」のだと思う。
仕事も変えたくないし、その仕事が上げる成果も変わらないでほしい・・・このような保身とも言える無い物ねだりがこの言葉の裏側にあるような気がしてならない。
保身に徹する者の発言はたいてい非現実的だが、この非現実的な意見がまかり通ってしまうところに大企業病の怖さがある。
 
僕がここで批判しているのは「大企業病」に侵された組織の中で発せられる「自分を信用するな」というフレーズである。
言葉自体には何の罪もない。
治療すべきターゲットは大企業病を招いた組織体質の方である。
 
ここでも行動が文化を作ることを思い出そう。
 
大企業病はそう簡単に治らない。その組織に属するメンバ間の利害関係に深く根を張っているからだ。
組織の構成員を入れ替えてしまうのが手っ取り早いが、リストラのような荒療治はリスクが非常に高いので、持てるリソースで何とかする方法を考えよう。
幸い、大企業病にかかる組織はリソースを持て余していることが多い。
逆説的に言えば、リソースを持て余しているが故に、不活性な贅肉が大企業病を招き助長するのだ。
 
ここまで洞察できれば解決法はシンプルだ。
余ったリソースを「組織内の」スタートアップに投入すれば良い。
元々余っているのだからリスクも利害関係も糞もない。とにかく周りがやってない新しいことを始めよう。
そうすれば先に述べたスタートアップ企業と同様の雰囲気を組織の中に作り出すことができる。
 
保身を貫きたい者は去るだろうし、大企業病をやっつけたいと常々思っていたメンバは率先してイノベーションを進めるようになるだろう。
組織内スタートアップは病気の部分と健康な部分を見分けるレントゲンのような役目も果たすのだ。
そしてもし、その組織が本来的にイノベーションに耐えられない体質や構造であれば、思い切って全体を小さなチームに縮小すべきだ。
結局のところ、健全に経営を継続したければ、小さなチームで仕事をこなすという選択肢に落ち着くことを悟ろう。
 
もう一度「自分を信用するな」に立ち返る。
結論を言えば、このフレーズを発する暇を殺せということだ。
使われていなかったリソースを活用・活性化させて、イノベーションに夢中になろう。
 
不信を抱く暇があったら、信頼できることに集中しよう。
本来、心血を注いでひとつの仕事に取り組むときには上司も部下もない。
みんなが仲間であることを思い出してほしい。
 
 
 

補足


 
文中で「会社」ではなく「組織」と言っているのはなぜか。
それは、会社という大雑把すぎる塊だけでなく、その中の一つの部署やチームのような小さな集合体も含めて考えてほしいと思ったからだ。
それに、個人では想像もつかない大きな範囲(大企業全体や自治体全体など)で考えるよりも、身近な範囲の組織に当てはめて考えたほうが問題を見つけやすいし、改善もしやすい。
自分の行動範囲を超えた大き過ぎるフィールドで問題に立ち向かうと、身近な(たいてい最も解決すべき)問題への対処が疎かになりやすい。
捉えるべきフィールドの設定で見栄を張ってはいけない。
「手元の問題解決が進まないのは自分の責任ではなく柔軟性のない組織全体のせいだ!」などと言って、言い訳・愚痴・責任転嫁が始まる(おお、正にこれこそ大企業病だ!)。
これは人間の心理として当然のことなので、まずは例え自分一人になっても具体的な手段で解決できそうな問題から手を付けることをおすすめする。

 
 
 

§1211 · Posted By · 12月 28, 2013 · Business · Tags: · [Print]