ここ数日、にわかに「家事ハラ」という言葉が聞こえてきて、なんだろう?と思って友人のツイートなどから動画を見たりした(うちはTVがないので、TV発信の情報なんだろうけどサイト上の動画で確認)。
 
「家事ハラ」というキーワード自体に興味のある人は各自ググって下さい。
 
率直な感想を言うと、なんのこっちゃよく分からなかった。
 
いや、言ってることは分かるんだけど、なんでそれをわざわざ「ハラスメント」に仕立てあげなきゃいけないのか?
 
マーケティングなのか? 話題を作って、ビューを集めて・・・ってことなんだろうか? 企業の考えることはいつも下らなすぎる。
 
 
それと同時期に「洗濯のCM」も少し話題になっているのを見かけた。
 
「洗濯」という家事=仕事を「母親」に特化した業務として描いていることに対する問題定義のようだ。
 
ふむ。あるタスクについて「主役」を何者にするかでこんなに突かれるのか・・・。
 
これもプロモーション/マーケティング的には由々しき問題なんだろう。
 
 
さて、今日書きたいのは「家事ハラ」がどうとか「家事のジェンダー」がどうとか以前の問題について、である。
 
 
 

ビジネスマンは区別するのがお好き


 
生活という漠然とした(でも現実世界の)事象から「仕事」を切り出し、「仕事」から「家事」を切り出し、家事を行う「人間」から「母親」を切り出し・・・。
 
つまり本来たいして区別する必要もないものからある部分をどんどん細く切り出していく行為が(特にメディアでは)なぜ必要なのか?
 
答えは簡単。ものを大量に売るためだ。
 
物事を区別すればするほど、ターゲットが明確になったように感じ、(仮にそれがありもしない問題でも)問題点が浮き彫りになったような幻想を抱き、その問題を解決するソリューションがどうしても必要だという思い込みを「消費者」に植え付けやすくなる。
 
このシナリオの起点=ターゲットの絞り込みに使われるプロセスが「区別」なので、まずは区別しないと何も始まらないというのが一般的なマーケティングの考え方だ(アホらしい)。
 
企業でビジネスをやってる連中は区別することが大好きだ。
 
区別することをやめなければ、彼らはずっとお給料がもらえる仕組みになっている。
 
だからどんどん区別する。区別しなくてもいいものさえ区別する。
 
区別すればするほど仕事も増えるが問題も増える。
 
面白いのは、増えた問題を解決するという仕事が増えて、その仕事がまた問題を増やす。
 
更に面白いのは、解決されなかった問題をかき集めて、それを未解決のままこねくり回すことを仕事にする連中(たいてい役人的ポジションの人)が自然発生的に現れるとことだ。
 
そう、企業の生態系における「区別」や「問題」は自然のそれにおける水や太陽光線のように重要な要素になっている。
 
 
言ってしまうと、「家事ハラ」も「忙しいのに洗濯しなきゃいけない母親」もそこには存在しない
 
それはアホなマーケティングがでっち上げた幻想に過ぎない。
 
 
「いや待って。実際自分がそうなんですけど・・・」という人のために次のセクションを読んでいただきたい。
 
 
 

現実を都合のいいようにちょん切る行為=プラトン化


 
もう一度「区別」の原理について考えてみよう。
 
どうやって彼らは物事を「区別」しているのだろうか?
 
僕が思うに(というか自分自身を振り返って考えてみると)「ビジネス上都合のいいように」区別しているに過ぎない。
 
何か真っ当な理由や科学的な法則に基づいているわけじゃないんだ。
 
「区別」とは現実の(実は重要かもしれない)一部を都合よくぶった切ってバカでも分かるようにした演出のことである。
 
企業の都合で体よく仕立てあげられた「演出」に自分自身を投影し、それを「現実」と思い込むのって、ちょっとどうだろう。
 
CMを見て「ああ、これ自分のことだわぁ」と思うことは別になんてことないし、誰にでもあることだ。
 
ただその事自体、現実世界の一コマであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 
同じように「なんかこの演出違和感あるなぁ」と思っても、それはただそれだけのことなのである。
 
以上なのである。
 
メディアで目や耳にしたことを現実世界につなげすぎてはいけない。
 
 
 
昔々、プラトンという偉大な哲学者がいた。
 
彼は本当に凄くて、彼を超える人はそうそう現れない。
 
プラトンは人々の問題や疑問を適切に分解・分析し、超越的な抽象化を行うことに長けていた。
 
いや、長けすぎていた。
 
彼の能力の高さは以後の世界に大きすぎるくらいの影響を与えた。
 
しかしこのことがとんでもない弊害をもたらした。
 
ちょっと人よりボキャブラリが豊富だったり、いい大学を出ていたり、高収入だったりするだけで中身は凡人の連中が、自分とプラトンを重ね合わせて語り始めたのだ。
 
凡人による物事の抽象化は、悲しいかなほとんど「全て」、単なるご都合主義による解釈の域を出ない。
 
このプラトン化された連中の大好物が経済だ。
 
経済学とはプラトン化されたバカどもがお遊びで吐き散らした戯言を真面目な顔して体系化しようとした結果である。
 
 
 
「頭がいい」とされる人ほどプラトン化の罠に陥りやすい。
 
そしてそういう人はビジネス上ある程度権限を持ったポジションにいることが多いので、いろいろなことをコントロールしやすい場所にいる。
 
そういうわけでプラトン化された脳みそで考え出されたどうしようもない情報がメディアに撒き散らされる。
 
「消費者」と呼ばれる人々(実際どこに居るのかわからないけどマーケティングの世界では実在するらしい)は「見たものが全て」と思い込みがちな傾向にあるので、メディアの中で演じられていることと現実世界のあれやこれやをどんどん繋げていく、勝手に。
 
その行為が「経済を回し」(ああこの言い方が大嫌いだ!)、プラトン化された連中の愚かな行為を更に助長していく。
 
 
ここでざーっと書いたことは、まとめちゃうとつまり「メディアの中の茶番」である。
 
みんなに少しの賢さがあるなら、やつらのやってることに付き合っちゃいけない。
 
 
 

まとめ


 
TV、CM、ああつまりメディアなんか定期的に見なくても、僕は普通に必要な物を店で買ってるし、嫁と協力しながら家のことも滞り無くやってる。
 
そんなに必死で情報なんかかき集めなくても、楽しく商売して、生きるのに必要な金銭を稼いでいる。
 
よく分からないことを言われたら「何でですか?」と素直に聞き返せばいい。
 
「そんなことも知らないのか?」と言われたら「すみません、知りませんでした。なので今教えて下さい。」と言えばいい。
 
人間がみんな同じ軸を中心に競い合ってると思ったら大間違いだ。
 
大間違いなんだけど、「この人はこういう属性の人」と決めつけて対応したほうがビジネスのある部分はやりやすかったりする。
 
それを真に受けて、ビジネス以外でも応用しようとするバカが後を絶たないから、プラトン化の弊害はしばらくずっと続くだろう。
 
「区別したがる人」「現実を都合よくちょん切るのが好きな人」たちは現実を現実のまま捉えることに不自由なところがある。
 
もしそういう連中に嫌気が差したら単にそいつらと付き合うのをやめればいいだけの話だ。
 
 
 

§1661 · Posted By · 7月 18, 2014 · Business · Tags: · [Print]