明日(2015-02-10)、8cloud のミーティングでワークショップをやってみようかなと思ったので台本を書きました。
メンバーが前もって読んどいてくれたらそれはそれで話が早いのでブログに載せます。
それぞれのセクションで前振りがあって、みんなで取り組む「セッション」が用意されてます。
Every day is (still) day one
僕が Amazon 時代にときどき見かけた社訓(?)の中のひとつで今でも覚えてるのが Every day is still day one というフレーズ。
他にもなんかあったと思いますが、あんまり覚えてません。
ちなみに僕は「Every day is day one」と覚えてました。あとで検索したら still が入ってたんだということに気付きました。
これの意図するところも実はあとから検索して「へーそうなんだ」とわかったぐらいです。要は「現状に満足するな」ってことが言いたいらしいです。
現状に満足するな、日々新しい一歩を踏み出しなさい・・・というのはちと大げさなので、僕個人としては直訳に近い感じで「毎日が初日」という言葉通りに理解しました。
僕は転職を多くしてきたので今までに何度となく初日を迎えてます、無駄に。
でもあれなんですよね、初日に「なんか変だな」「いや、それまずいでしょ」と思うことはたいてい変だしまずいです。
初日の目線で仕事を見渡せば、おかしなこと、非効率なこと、不愉快なことが発見しやすくなります。
人間はなぜか「いつもこうしてるから」という考えには反逆しづらいものです。それが如何にくだらないことでも。
ところが「いつもしているわけじゃないこと」はいくらでも変えられます。
で、これは経験からですが、仕事上の多くはいくら変化させても大丈夫です。
むしろ変化し続けることで「活かすもの」と「殺すもの」を区別しながら仕事をするほうがずっと健康的です。
何かをより活かすためには熟練の技術と経験が物を言いますが、不要なものを捨てるときには新人の大胆さが必要です。
この2つの相反する要素をいつもいい感じでミックスさせていくのが大事だな思います。
人間は無意識に、すでに持っているものを活かそう、すでに知っている世界に安住しよう、というバイアスが働きますので、「Every day is day one」というフレーズで感覚をリセットするのも良いのではないでしょうか。
セッション
- ブレインストーミング: 3分間で「無駄だ」と思っているものを書けるだけ書き出してみましょう
- その無駄を「改善」「ステイ」「破棄」に分けてみましょう
- その無駄を整理したら自分の今の仕事(人生?)がどんな風に変わるか、もしくは周りにどんな影響を与えるか少し雑談してみましょう
人類は見積が下手くそだ
人類に未来を正確に予測する機能が備わっていたら、まぁ多分戦争とかしないでしょうし、逆に世の中こんなにおもしろくもないと思います。
それはさておき、何をするにしても我々人類は「見積もることが強烈に下手くそである」ということを肝に銘じなければなりません。
特にビジネスにおいては。個人でも企業でも。
思うにみんな自分の見積もりベタには薄々気付いているんだと思います。
ただちょっと気を許したり調子に乗ったりすると、自信満々に未来計画を語ってしまうわけです。
でも大丈夫。
これは 37signals という会社の人が書いた本に載ってたのですが、「計画」や「プラン」と表記されているところをマジックで塗りつぶして「予想」という言葉に置き換えると、言ってる本人も聞いてる人たちも冷静に議論できるようになります。
さてでは「予想」に頼らずに仕事をするための話をしましょう。
一人で仕事をするにしてもチームで仕事を回すにしても、大事なのはすべての物事が変化すること(もっと言えばいずれ捨てられること)を前提に行動するべきだということです。
成果物が滞りなく受け入れたれたときのリターンよりも、変更を要求された時の修正コストのほうが遥かに(そして常に)大きいことを知っておきましょう。
だから「未来予想」はそれが好きな人たちの戯言と割り切って、ワーカホリックなみなさんはツールの柔軟性を高めることや仕事の知恵を脳細胞に叩きこむことのほうにより投資すべきです。
セッション
- このミーティングが何時に終わって、何時に家に着いて、何時に就寝するか予想してみましょう
- 翌朝、その予想が正しかったかを検証してみましょう
- それはともかく。自分の仕事の中で他者に依存性の高いものをいくつかピックアップして、依存先が Gone した場合にどんな影響があるか話し合ってみましょう
あんまり決めない。全部やり切らない。無駄を愛する
お題目にいろいろ詰め込みましたが、要約すると「自由にやる」ってことです。
少し解説すると、
あんまり決めない | なんでもかんでも決めてしまうと身動きが取れなくなるので、必要最低限のことだけ決めて残りは放っておく |
全部やり切らない | 「全部」がどこまでか決められるようなタスクは他の人に任せる。それと、別の人がやったほうが更に上質なものができるかもしれないという可能性を残す |
無駄を愛する | 目の前の利益を単に追わないようにするのは苦痛なので、直接利益に繋がらない行動を好き好んでやる(ただ言い方を変えただけだね) |
真面目に仕事をするのはいいことです。でも、誰かに監視されているかのような恐怖の下で仕事をするのでは奴隷と一緒です。
自由に仕事をするためには、なにか(例えば会社組織、人間関係、給料、仕様書)の奴隷であることをやめなければいけないのと同時に、なにかのご主人様であることもやめなければいけません。
自由には危険が付きものです(そうそう、「責任」じゃなくて危険)。ですが、その危険とは僕が思うに生物に平等の危険というか、本来的な危険というか。
むしろ社会的な危険は少ないように思います。つまり自由に行動している人をわざわざ束縛しようとする人は実はあまり多くありません。
他人の行動を制御・制限しようとする人たちがターゲットにするのは「自由になりたい人」です(つまるところ不自由な人です)。
さて、この節で何が言いたいかというと(非常に抽象的な言い方になってしまいますが)、みんなもっと勝手気ままに仕事をしてもいいんじゃないかってことです。
あー、「みんな」っていう言い方が誤解を招くかもしれませんが、まぁざっくり世の中みんなです。
多分ですね、勝手に仕事をする人がもうちょっと増えても、平均回帰で世の中の雰囲気はたいして変わらないんじゃないかな?わかんないですけど。
それなら尚の事、個人単位で見れば、ずっと束縛され続けて病気になるより好き放題やって怒られ強くなったほうが得な気がしませんかね?(僕だけ?)
このセクションはどちらかというと確認です。
自分自身が自由か不自由かを決めるのはその人の自由です。
ただ僕は自由に仕事をし続けたいし、僕が(無意識にでも)みんなの自由を束縛するようなことはしたくないので、この機会に自由について確認しておこうかなと思ってこの話題を採り上げました。
セッション
- 知っての通り「自由」に対する捉え方は人それぞれです。3分間会話を休んでそれぞれ「自由」について考えてみましょう
- リラックスして好きなことを話しましょう
- 最後に一杯のお茶を飲んだら解散しましょう