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つい1ヶ月ほど前に右眼を怪我していろいろ経験したので少し書いておく。
 
 

右眼の怪我について


 
友人の誕生日を祝おうと、お気に入りのシャンパンを購入して友人宅へ向かった。
 
そのシャンパンを開ける際、不注意にも程があるんだけど、至近距離(30cmぐらいだと思う)で飛び出した栓が右眼を直撃。
 
もう何度も飲んでいる銘柄のシャンパンで、いつもは割りと開けるのが大変なやつなので「まだ開かないだろう」と油断してグリグリやってたら急に開いちゃった感じ。
 
栓が右眼を直撃した直後は「うわぁマジかよ〜」と思いつつも、少ししたら目も開けられてちゃんと見えるし、眼球は大丈夫だったんだなと勝手に思い込んでしまった(それより当たった付近の眉骨や頬骨の方が痛いぐらいだった)。
 
その日は友人からアイスノンみたいなやつを借りて、それで冷やしながら普通に楽しく過ごした。
 
帰り道、夜の街灯を見上げて気付いたのだが、目に涙が溜まっている時のように光がぼやけて見える。
 
(今だからこそ悔やまれるのだが)これも当たったショック的なやつで一時的なものだろうと勝手に判断してそのまま帰宅、就寝。
 
 
翌朝。
 
 
やっぱり右眼(というか目の周り)が痛いなぁと思いながらふと早朝の5時ぐらいに目を覚ます。
 
身体を起こし、目を開いたところで「ん?」と思う。
 
右眼が全然見えない・・・。明るいか暗いかぐらいは分かるが、何も見えない。右眼の前にだけ厚いカーテンを引かれたような感じである。
 
鏡で確認。右眼は確かに充血してるけど、外見では何がいけないのか全くわからない。
 
とりあえず嫁を起こす。ここに書いたような内容をそのまま話す。
 
嫁が近所の眼科を検索してくれた。
 
右眼はどんどん痛みが増すが、眼科が開くにはまだ早い。
 
アイシングしながら横になっているうちに少し寝てしまう。
 
 
9時か10時ぐらいだったと思う。起きる。
 
痛みが増してるのと、視界が半分であることに慣れてないので、思ったように歩けない。
 
嫁の肩に掴まらせてもらい、ゆっくり前進。なんとか眼科に到着。
 
診察してもらった結果、目の中で出血があり、それが夜の間に溜まって視界を塞いでいるとのこと。
 
そしてこのひどい痛みは、その出血のせいで眼圧が上がっているためだということも分かった。
 
最初に診てもらった町の眼科では手に負えない状況だということで、紹介状を書いてもらい、新宿の大学病院へ直行することに。
 
 
大学病院に着いたのは11時ぐらいだったと思う。
 
受付時刻的に、本来であれば午後の診察に回される時間帯だそうだが、紹介状の威力と受付嬢の気遣いのおかげだろう、午前の診察で診るのでそのまま少し待つように言われる。
 
その後割りとスムーズに検査から最初の処置までしてもらった。
 
処置の内容は若干グロいのでここには書かないけど、普段眼科なんて行かない人間にとってはもう恐怖でしかないことをいろいろされた。
 
でも、兎にも角にも眼圧を下げないと緑内障を発症してしまい本当に目が見えなくなってしまうということでひたすら我慢。
 
 
それから毎日毎朝病院へ通って、点滴と右眼の処置を繰り返す日々。
 
初診から最初の3日ほどが一番辛かったかも。
眼圧が高くなっているためひたすら右眼と頭が痛い。
痛みを堪えながら、点眼と薬のときだけ起きて、あとは寝倒すだけの生活。
 
光が眩しくて辛いので、部屋はずっと暗いまま。
 
暗いし辛いから布団に横になりたいのは山々なんだけど、完全に横になってしまうと止まっていない出血が下に落ちないということで、頭は起こしていなきゃいけない。
 
なので座椅子にずっと座って痛みに堪えながらウトウトしているような状態がしばらく続いた(ちなみにうつ伏せは禁止)。
 
とは言え、気付くと横になってしまっていたり・・・。
でちょっと自己嫌悪という繰り返し。
 
 
怪我から1週間、病院に通い詰めた結果、出血もほぼ止まって眼圧が安定してきた。
 
先生の「次は1週間後に診ましょう」という言葉でどれほどホッとしたか。
 
そしてあのおっかない処置もひとまず終了で、あとは投薬で様子を見るとのこと。良かった。
 
 
眼圧は安定しても、この時点ではまだ右眼はカーテンの中だった。
 
前述のように明るいか暗いかは分かる。
 
あと、至近距離で何かが動けばそれもなんとなくは分かる程度。
 
怪我から2週間目に診てもらった時も、右眼の視界は何も変化なし。
 
 
人間とは不思議なもので、一番ひどい状況の時は「とにかく(いつか)見えるようになってくれればOK」と思っていたのに、そこを抜けると欲が出て「早く見えるようになってほしい」と思うのである。何たる傲慢。
 
 
処置がなくなったのは嬉しいが、投薬だけで本当に見えるようになるのかという、また別の不安がしばらく続いた。
 
 
怪我から丸2週間ちょっと過ぎたある日、ふと気付くとぼんやり周りの家具の輪郭が見えていた。
 
あまりに唐突だったので驚いた。しかも寝起きとかじゃなくて、たしか夕食後のなんてことないタイミングで。
 
台所にいる嫁のところに行ってみると、ちゃんと彼女の顔の輪郭なんかが分かる。
 
思わず嬉しくてはしゃいでしまった。
 
 
でもここからの数日もちょっときつかった。
 
何故かと言うと、2週間以上左目だけの生活をしていたので、ぼんやり見える右眼も開いた状態でものを見ると、あまりの焦点の合わなさに頭が痛くなった。
 
例えれば、物凄く度の合ってないメガネをかけている状態と言えば分かってもらえるだろうか。
 
 
怪我から3週間目。
 
診察のときの視力検査では、検査表(丸が上向いたり下向いたりしてるやつ)の上から数段が辛うじて判別できるまでに回復した。
 
出血によるカーテンが薄くなったので、黒目の中のレンズその他諸々も検診できた。
 
怪我の衝撃で少し白内障が出てる可能性があるが、失明の可能性はもう殆ど無いようだ。
 
 
今(怪我から1ヶ月経過)の状態はというと、右眼に関して言えば、少々濁った水槽越しに外の世界を見ている感じ。
 
ものを認識するのはほとんど問題ない。文字も 18pt とか 24pt ぐらいデカい表示にすれば割りと読める。
 
 
両目を開けた時に焦点を合わせるのもだいぶ慣れてきた。
 
ただ、右眼の見えなさ具合とのミックスになるので、長時間画面を見ているような作業は辛い(かと言って左目だけで画面を見るのはもっと辛い。遠近感なくなるし)。
 
今は、1~2時間仕事をしたらそれと同じくらい休んで、というかなりスローなペースで仕事をしている。
 
 
 

感謝


 
今回のことで、嫁が居なかったらと思うとぞっとする。
 
本当に彼女には感謝してもしきれない。ありがとうございます。
 
母親も足繁く家に来てくれた。ありがとう。
 
 
それから仕事の相方であるもっちぃと、クライアントの皆さんにも本当に感謝している。
 
僕がこんな状態で、怪我から1週間程度止めた仕事もあったし、進捗を遅らせてしまったプロジェクトも幾つかあった。
 
それでも引き続きうちに仕事をお願いしてくれるだけでなく、回復まで暖かく見守ってくれる皆さんといっしょに仕事ができて心底幸せ者だと思う。
 
ありがとうございます。これからも頑張ります。
 
 
それからもちろん、病院の先生やスタッフさんたちにも感謝である。
 
なにせビビリなので、特に最初の頃は診てもらう度にいろいろと迷惑をかけたに違いない。すんませんでした。
 
まだ全快までは少し掛かりそうだけど気長に頑張ります。
 
 
 

少し仕事の話


 
今回の怪我でパソコンに向かっていられる時間がかなり制限された状態が続いている。
 
今までは五体満足の状態で「 1 日の実稼働時間 = 5 時間」などと言っていた。
 
で実際も「実稼働時間」はそのくらいだったわけだが、実務以外に勉強をしたり調べ物をしたり SNS を見たりで、なんだかんだ 1 日の大半はパソコンを見ていた。
 
ところが、目を怪我したおかげで「本当に」1 日 MAX 5 時間程度しかパソコンに向かうことができなくなってしまった。
 
しかも、一度に集中できるのは 1.5 時間程度で、その後 1 ~ 2 時間はインターバルがほしいという状況だ。
 
以前と比較したらかなりの制限である。
 
 
このような状況に陥って悲観したかというと実はそうでもない。
 
そもそも時間単位の人件費は非常に高価だということを改めて実感した。
 
フリーランスでやってると、自分は自分という会社の社長みたいなもんだから、現実を認識し、より重要な事を明確にすると同時に実践でフォーカスしていくことがすごく大事だ。
 
本当に重要なことについて、今まで頭では理解していたつもりだったけど、改めてその大きさを実感したことが幾つかあったのでメモしておく。
 
 

小さなものは小さなままで


 
はじめは小さな、もっと言うと「1つの」問題を解決するために作られたプログラムでも、書いてるうちにどんどん欲が出ていろいろなオプション(付加価値)を付けたくなってしまう。
 
会社や組織の中でコーディングしていればある程度致し方ないこともあるだろうけど、フリーでかつ一人でプログラムしているなら、小さなプログラムを小さく保つことに妥協する理由はない。
 
一つのプログラムには一つのことだけを確実にやらせよう。
 
それが効率、シンプルさ、デバッグの速さ、そして直交性・移植性などの面でパフォーマンスを上げる(そしてそれを保つ)ための鉄則だ。
 
UNIX のスラングにもこんなのがある。

 
K.I.S.S (Keep It Simple, Stupid!)
 

 
 

問題を突き回して本質を理解する


 
一つのプログラムが十分に明快でかつ短くならない一番の原因は、その問題の本質に対する不理解だ。
 
問題の肝を解っていない状態で(これが最終版と勝手に決めつけて)プログラムを書き続けていると、どんどん余計なものが持ち込まれて中身は難解になり、コードは膨れ上がる。
 
だからまず十分にクライアントや仕事仲間と問題の本質を見極めることができるまで意見を交わすべきだ。
 
そして部分ごとに問題を解決する小さなプログラムを速く書こう。
 
問題がややこしい時は、このプロトタイプたちが問題解決のための大きな役目を果たす。
 
本番のプログラムに手を付けるのはそれからだ。
 
プロトタイプやテストコードには、問題を机上の空論から引きずり下ろし、現実的に目で見て手で触れられるものにしてくれる効果がある。
 
 

デバッグを速く、警告を早く


 
現実のデータの中で素早くデバッグを繰り返す必要がある。
 
書捨てのプロトタイプをどんどん回そう。
 
永遠と頭で考えるのも、進捗会議を何度となく開くのも、たった50行のテストコードの前ではほとんど無意味だ。
 
テストコードで現実の問題を切り刻もう。
 
データを眺めている時の人間の網膜はほとんど当てにならない。
 
システムを止めてしまうようなデータは今そこにないかもしれないのだ。
 
つまり、警告を発するためのプログラムを書いておくべきだ。
 
このプログラムは「上手く行っていることを確認する」ためのプログラムではない。
 
「それが上手く行かない(失敗する)ためには何が必要か」を探るプログラムだ。
 
システムとは、経験上、失敗するならできるだけ早く死亡(die)すべきものだと思う。
 
ああ、だから、プログラマとは自尊心をズタボロに切り刻むのを楽しめる人間にはとても有意義な仕事だと言える。
 
 

繰り返しはコンピュータの仕事


 
幾つかのルールに基づいて何かの作業を繰り返しているなら、多分それは自己満足だ。
 
人間は、ルールが明確でないものや未知のものに注力すべきであって、繰り返しが必要(であり可能)なものは機械に任せよう。
 
もし繰り返しを強要してくるシステムがあったとしたら(いや、実際たくさんあるのだが)、それらは機械の本分を見失っていると言える。
 
行きつけの店で「いつもの」と注文するように望んだものが手に入る環境を自分で作れるのがパソコンだってことを再認識しよう。
 
 
 

§1657 · Posted By · 7月 17, 2014 · Business, Development · Tags: · [Print]