僕の場合、普段仕事で使ってるプログラミングの分野は月並の世界に属する。
 
やったらやった分だけ実益に繋がるが、主観的な意味で創造性はあんまりない。
 
吹き飛ぶ危険性を避けて、安定的な運用を好むから、所謂「枯れた言語(もしくは、枯れたメソッド)」を選ぶことが多い。
 
そういう意味では、はっきり言おう、つまらない。
 
でもそのつまらなさが良いと思う。
 
仕事に費やす時間の大半は枯れた言語・枯れたやり方で、職人的に、堅実に、地味に、目立たず、振り回されず、自分のペースで仕事をするべきだ。
 
 
では抑えきれない知的好奇心はどこに向けるか?
 
プログラミングに費やす時間全体の10~20%を未知の領域に向けよう。
 
仮に全身全霊で未知の領域に時間や労力を注入して失敗した場合、仕事(と、そこから得られる収益)そのものを傾けてしまうような過大な損害を及ぼす可能性があるようなやり方は避ける。
 
日常のほとんどは超保守的に過ごし、失敗しても特に害のない範囲のリソースで思いっきり冒険するのだ。
 
 
せっかく冒険するなら、(これも主観的な意味で)不確実性に支配された果ての国に属するような分野がいい。
 
考えよう。
 
 
自分にとって世界がはっきり見えているように感じられ、経験的な実証もあり、その分野に関する著作の多さなど社会的認知も高いような分野はなんだろうか?
 
それは十分な歴史があり、ツールは安定しているだろうか?
 
ググれば大抵の問題は片付くだろうか?
 
それはつまらないだろうか?
 
これらの質問にYesと答えられるものなら、多分それは月並の国に属する超保守的な分野だ。お金をもらえる仕事に活かそう。
 
 
逆にどこか「No」の部分があるなら、単に未知の領域というだけかもしれないし、果ての国に属する「おもしろい」ものかもしれない。
 
それは実際に手で触りまくって、いじくり回して、批判しまくらないと本当のところは分からない。
 
小突き回してるうちに未知が理解になり、不確実性が飼い慣らされ、おもしろみが消え失せたら、それは単に過去の自分が知らなかったというだけでいずれ超保守的な領域の一部になる可能性が高い。
 
身に付けたスキルは日々の実務に積極的に活かそう。
 
 
中には、十分おもしろいのになかなか成果につながらなかったり、理解が及ばないものが含まれていることに気付くことがある。
 
それは果ての国に属するものである可能性が高い。
 
自分が成果を出しにくいってことは、他の人も少なからず達人になるのは難しいってことだ。
 
しかもそれがおもしろくて、興味を引き続けるもので、やり続けても死や生活苦に陥るリスクが殆ど無いものであるなら、中途半端にやっちゃ駄目だ。
 
生活の10~20%をおもいっきりその分野にエクスポジャーしよう。
 
 
生活の中で諦めたら勿体無いことなんて殆ど無いが、上に書いたような条件に当てはまる「良いエクスポジャー」は常に何かしらやり続けたほうがいい。
 
なんたって、自分は「おもしろい」と思って積極的にトライできるのに、周りの凡庸な人たちは「難しい」と思って二の足を踏んでいるのだ。
 
これは勝者総取りのチャンスである。そういう意味で「果ての国に属する」という表現を使った。
 
 
月並の国では、個々人の能力の差は無視できるほど小さく、競争して勝つよりも、安定して必要な利益を生み出し続けることのほうが重んじられる。
 
果ての国では、個体差が非常に大きく、ひとつの標本の持つ力が全体を圧倒する。
「成功」する確率は非常に小さいが、リスクが無視できるほど小さいなら積極的にトライする価値が十分に大きい。
(逆に成功する確率は小さいままで、トライするほどリスクが手に負えないレベルまで膨れ上がってしまうものは「悪いエクスポジャー」だ。)
 
 
「良いエクスポジャー」は日々考える努力を続けないとなかなか見つからない。
 
しかも、何か見付けて「これだ!」と思い込んでも、世界は予測不能だから、いつしかありふれたものに落ちぶれてしまう可能性がある。
 
そういう時のために、注ぎ込むサンクコストは(後で諦めが利くように)ある程度制限すべきである。
 
 
思いっ切りやれと言ったり、制限しろと言ったり、どうも矛盾してるように聞こえるかもしれないけど、この考え方に自分をエクスポジャーして日々理解に努めていると、自分なりのやり方が見えてくる。
 
大事なのは自分なりにやることだ。
 
人の話を信じすぎちゃいけない。
 
 
 
 

§1461 · Posted By · 2月 24, 2014 · Business, Development · Tags: · [Print]