サンクコスト(埋没費用)の捉え方についてちょっと考えてた。
サンクコストとは事業に投入した資金が回収でない(見込みのない)費用のこと。
感覚的な逆転
最近はほとんどCDを買わないけど、昔はよく買ってた。
で、お金に困ったとき、そのCDを売って食いつないだこともある。
CDは中古で買ったものもあれば正規の値段で買ったものもあったし、中にはプレミアが付いたものもあった。
物凄くお気に入りのものもあれば、買って以来ほとんど聞いてないものもあった。
CDを売ってお金に変えようと思う時、どういう順位付けで売るだろうか?
CDの購入に投入した金額は様々だろうけど、普通で考えればあんまり愛着のない(言い換えれば長々と持っていてもしょうがない)CDから売るだろう。
僕もそうにした。
つまりCDのサンクコストはCDを購入した時点で完結しており、売却する際には、購入以降のリターン(聞いていて楽しい時間)の少ない順から自然と手放すようだ。
そして、手放すことによって手に入れた新たな資金(たいてい購入時に支払った金額を下回る。つまり金額的なコストにだけ目を向けると損が確定される)によってめでたく食いつなぐことができたわけである。
これが株式投資や事業投資のように形がはっきりしないもの、若しくは、将来的に利益を生む(または逆に損をする可能性がある)ものになると、人間は逆の判断をすることが多々ある。
例えば、投資金額に対して利益を上げていない株式Aと、大きく利益を上げている株式Bを持っているとする。
何かの事情ですぐにでもキャッシュが必要になった場合、あなたはどっちを手放すだろうか?
- 利益が出ているB株を売って、資産をプラスにした上でキャッシュを得る
- A株はこの先持ち続けても利益を上げそうにないから、さっさと売ってしまい、損を確定させて必要なキャッシュを得る
直感的に、一つ目の例の「利益が出ているB株を売る」ほうを選択する人が意外と多いのではないだろうか?
考え方はそれぞれだけど、A株を売るってことは「損を確定」させることだからプライドが許さないというのがひとつの理由になることもあるだろう。
未来は誰にも予想できないから、今は利益を出していないA株も、持ち続けていればそのうちアウトパフォームする可能性もあるんじゃない?と欲張ってしまった人も、B株を売る選択をする可能性が高い。
(僕も最初はそう判断した。)
でも今必要なのがキャッシュ(現金)だってことを思い出してほしい。
少し考えればCDの売却といっしょで利益を出していない(損をしている)A株を手放してしまったほうが「今現在の」判断としては懸命だ。
なぜならA株を手放して得たキャッシュは損を確定させて得たお金だから節税もいっしょにできちゃうのである。
損を確定させることは近視眼的に見れば自尊心を傷つけることかもしれないけど、少し俯瞰的に見れば、生活に必要な現金を効率よく手に入れるための賢いやり方なのだ。
事業でも同じようなことが言える。
大きく賭けた(金や努力をしこたま注ぎ込んだ)事業がお話にならないほど上手く行かなかったり、リリースにすら漕ぎ着けなかったりという話はよくある。
人間という生き物は何かにリソースを注ぎ込めば注ぎ込むほど手放すのを嫌がる。
それがどんなにビジネスとしてはナンセンスな事業でも、愛着が湧いてしまったものを見捨てることがなかなかできない。
ここで混同しちゃいけないのは、事業への執着と、CDへの愛着は違うってことだ。
事業へは資金や人材などのリソース(コスト)を投入し続けているけど、それに見合うリターンを得ていない(リターンがサンクコストを上回っていない)。
でも愛聴したCDのほうは、CDを購入するのに支払った金額(サンクコスト)はその後に得た充実感によって十分なリターンを受け取っている(リターンがサンクコストを上回って利益を上げていると解釈できる)。
CDからのリターンは聴き手が主観的に判断できる。しかし事業にとってのリターンはあくまでも客観的な数字で判断される。
であれば、愛着が湧いてようが、それまでに投下したコストが膨大だろうが、リターンを見込めない事業は、サンクコストが大きな負担になりすぎて破滅する前に手放すべきだ。
「ここまでやったんだから諦めずに頑張ろう」とか「偉業を達成した先人たちもこうやって苦労したんだ」と自分たちに言い聞かせるのは勝手だけど、膨れ上がったサンクコストで組織そのものが立ち行かなくなったら元も子もない。
Wiki で 埋没費用 を調べたらなかなかいい例が載ってた。
「つまらない映画を見続けるべきか」
この例にはCDと似ている部分と事業に似ている部分の両面がある。
CDに似ている点で言えば、主観的な判断(面白くないと思っている)が自分の意思決定(映画館をさっさと出て行くという判断)を納得させやすい。
CDと違うのは、時間(チケットを買ってから間もない)や場所(わざわざ映画館まで来た)の制限があるってところだ。
つまり主観的な判断と客観的な判断が逆転しがち(「せっかくお金を払ったんだから」とか「せっかく出掛けてきたんだから」という理由で、面白くないのに映画を見続けてしまう)という点では、見込みのない事業をなかなか手放せないことと通じる部分もある。
心を解き放て
損切りと益出しという概念を知っているだろうか?
損切りとは、損が予め決めておいた基準値を下回ってしまったら、さっさと手放すこと(映画がつまらないと思ったらさっさと出て行く)。
益出しとは、これも予めラインを決めておいて、過剰に出過ぎちゃった利益を切り離すこと(映画の中のギャングが超絶にクールだったからと言って、街中で拳銃をぶっ放してはいけない)。
株式投資の益出しだったら、一旦別の証券口座に移す(別口の投資先がある場合)とか、または、キャッシュがほしいタイミングだったら利益を確定しちゃってもいい(投資なんていう数字だけのギャンブルより子供を学校に行かせたいとか生産的なギャンブルに賭けたい場合)。
株式は運任せの数字の世界だから、(欲張らなければ)冷静に数字を見て客観的に損切り・益出しのタイミングを判断することも可能だと思う(僕は何も考えたくないから少額の投資信託に投資してファンドマネジャーに任せっぱなしなんだけど、少額とはいえ、損切り・益出しラインは自分で決めて自分で操作しなきゃいけない。今のところそういう状況は経験してないけど、正直面倒くさい。ファンドマネジャーは僕みたいな「超」小口投資家の価値観や私生活の変数までポートフォリオに組み込んでくれるわけじゃない)。
でもこれが事業や恋愛や結婚生活となると主観と客観が入り乱れてなかなか判断は難しい。
結論を言おう。
数字だけで判断できない事象に突き当たったら諦めて心を解き放つしかない。
映画館をさっさと出て行く時のあの「弾み」のことだ。
個人的な話をすると、僕は音楽を諦める時にその「弾み」に救われた。
10代から楽器を始めて、30歳を少し超えるまで、音楽で食べていくという夢を抱いて実践してきた。
機材やスタジオ代、イベントやレーベルの運営に、グロスで言ったらそれこそ凄い金額を注ぎ込んでいたし、計算しきれないくらいの時間と労力を費やしてきた。
苦楽を共にした仲間もたくさんいた。
応援してくれる人も非難してくる人もいて、総じて色んな人が注目してくれた。
でもね、でもですよ、キャッシュフローが全然プラスにならなくて、酷い損失を出し続けるだけだった。
音楽をビジネスにするためのプランはいろーいろ試してみた(当然キャッシュフローが回ってないから先行投資が必要な物はあんまりできなかった)けど、どうにも上手く行かなかった。
音楽で食っていくことが夢だったわけだから、音楽で収入を得ることは目標ではなくて「必要最低条件」だったのに、音楽だけやってたら生存できないのは明らかだった(1年続かなかったけど、試しに収入源を音楽だけにしてみたら本当に生活できなかった!そして案の定、貯金を食いつぶした)。
つまり音楽を続ければ続けるほど、日に日に音楽なんてやってる場合じゃなくなるっていうパラドクスを味わったわけだ。
僕がこの体験から悟ったのは、上手く行ってない時に冷静になるのは難しいってことだ。
「多少の失敗は付き物」と自分に言い聞かせて、損切りすべきラインを簡単に見送ってしまう。
物事が悪い方に行くと、そうやって失敗し続けてしまうのが人間だってことだ。
こういう酷い状況に追い込まれた時、「やっぱ気楽に生きよう」と思って音楽に関するたくさんのことを諦めることができたのは幸運だったと思う。
これが僕の「弾み」だった。
行動心理学者のスーザン・ワインチェンクはどん底を経験した時「気軽に生きる」って声に出して宣言したらしい。
僕はそんな事しなかったけど、実際は同じようなものだ。彼女の置かれた状況やその時の気持が痛いほど分かる。
「ビバリーヒルズ・コップ」は子供の頃から大好きな映画なんだけど、その中でお調子者の主人公アクセルがこんなことを言うシーンがある。
「軽く考えりゃ、どうってことない」
サンクコストは感情に訴えかけるから、場合によっては不謹慎な発言かもしれないし、仲間からは非難されるかもしれない。
でもこれって、人間が生存していくためにはすごく大事な発想だと思う。
酷い状態の時こそネガティブなものには見切りをつけて肩の力を抜けば、柔軟な発想ができて機転が利くようになる。
つまり生き延びる道を見付けやすくなるってことだ。
僕の場合、音楽を諦めたお陰で、プログラミングという楽しい仕事に再会(昔一度プログラマの道も諦めたことがある)できたし、不思議なことに音楽家になる夢を諦めてからのほうがずっと音楽が楽しい。
後知恵かもしれないけど、抱え込みすぎた時ほど軽く考えてみるってのもアリなんじゃないだろうか?